船場は、長堀川・西横堀川・土佐堀川・東横堀川によって額縁のように取り囲まれた四角な地帯で、大阪中央部の商業の中心地帯である。
北浜通りの証券街、高麗橋通りの銀行街、道修町通りの薬種街、本町通りの繊維街、久宝寺通りの小間物街を指す。
心斎橋は江戸時代初期に長堀川を開削に尽力したひとり岡田心斎によって架けられたとされている。明治42年に石製二連アーチの橋になったが昭和39年に長堀川が埋め立てられた。しかし平成9年に長堀通りに地下街クリスタ長堀が建設され河に見立てたデザインの天井に水が流れまさに長堀川が復活のようです。そして石橋の一部が復元され高欄やガス灯が設置され往年の心斎橋がよみがえったのである。
現在の御堂筋は大正15年10月に着工し梅田ー難波間、4700メートル全部が完成したのは昭和12年である。この通りに浄土真宗西本願寺津村別院(北御堂)と東本願寺難波別院(南御堂)があり、江戸時代からこの二寺院との間を御堂筋と呼んでいたのである。
反正天皇元年創建と伝えられる仁徳天皇、倉稲魂尊を祭る神社。文楽の起こりをされる初代植村文楽軒の人形芝居が行われた歴史があり境内には稲荷社文楽座跡の石碑が立つ。
江戸初期に琴雲上人により開基され、1637年(寛永14年)に専念上人によってこの地に移された天龍山法善寺。本堂は第二次世界大戦で焼失し、現在は飲食店が立ち並ぶ法善寺横丁に金比羅堂と不動明王像が立っている。不動明王像は「水掛け不動さん」として親しまれ、水を浴びせかけて商売繁盛や恋愛成就を祈願する。そのため今やすっかりと苔むして顔だちもわからないほど。織田作之助の小説「夫婦善哉」の舞台としても有名。
御堂筋沿いの桃山様式の唐破風造が目を引く大劇場。オープン40周年を機に1999年、客席を大改装。総席数1638席にリニューアルした。有名スターの芝居やショーなどが行われている。
1612年に安井道頓が私財を投げ売って開削に着手しました。大阪夏の陣で道頓は戦死しましたが、従弟の道ト(どうぼく)が受け継ぎ、1615年に運河が完成しました。開削者の名前を取って道頓堀と呼ばれるようになりました。